PickUp #123  2002.10.04   <- Prev  Home   Next ->


嗚咽その3 より

8 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/06/29 18:06 ID:ME9psfyh
5年くらい前に俺の弟は、嫁さんと当時一年生だった姪っ子を残して死んだ。
それで義姉は姪っ子を連れて実家に帰ってたんだけど、
こないだ親子揃って家に来たから、両親も俺も、もう大歓迎だった。
義姉は、ピアノを教えたりコンビニで働いたりでなんとか食っていて、
姪っ子も明るかったもんだから、そのとき俺は気付かなかった。

俺は休みの日、姪っ子に「おじさんとデートしようよ。」と誘った。

「欲しい物はなんでも買ってやる。でも車とかいうのはなしだぜ?」
「行きたい所に連れてってやる。でもハワイとかいうのはなしだぜ?」
俺がふざけて言うと姪っ子はケラケラと笑った。

その日は早起きして、渋谷まで「スパイダーマン」を観に行って、
それが終わったらお昼に鯨料理を食べさせて、その足で原宿へ行った。
正直俺も原宿なんてよく知らないんだけど、姪っ子に言った。

「なんでも買ってやるからな、欲しい服選びな。」

真剣な目で吟味する姪っ子の横顔は俺のバカな弟に似てた。
そして、いくつかの気に入った服をけなげに迷ってるありさまが
いじらしくて、びっくりさせたくて俺はその服を全部レジに持って行った。
はっきり言って韓国あたりに旅行に行けそうな合計額になったけど、
俺は涼しい顔でカードで払った。もちろん冬のボーナス一括払いだ。

両手一杯の紙袋を持って「うれしい、うれしい。」と何度も繰り返す姪っ子に
俺は照れくさくって「大事にしろよぉ??!!」などと子供相手に悪態ついた。
だが次の瞬間姪っ子の言った一言で、俺は照れくささなんか吹っ飛んで、
往来で涙が出てきてしまった。

「こんなにうれしいことがたくさん、一日に起きるなんてもったいない!」

もったいない、か・・・姪っ子があまりに明るかったから気付かなかった。
きっと色々あるんだろう。母親が忙しくて、寂しくて、やるせなくて、
六年生の心の中にしまい込んで我慢していることが。
本当は教育上よくないんだろうけど、たまにしか会えないからな、
おじさんは、お前の父さんと同じでバカだからな、こんな愛情表現しかできない。

「疲れてないか??そうか、よし!これからディズニーランド行くぞ!!!」

31 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/07/04 12:09 ID:k4mvsoV+
昔の友達が自殺したその日の深夜、多分自殺直前。
家に電話がありました。無言の。

でもその時実は電話機が壊れていて(当時2才の娘が壊した)
電話機の状態は相手の声が聞こえたり聞こえなかったりで、
後で判明しましたが、こっちからの声はしっかり聞こえてたようです。
電話機が壊れてたのはその時は気付きませんでした。
相手の声が聞こえない=無言電話だとばかり思ってたので。

で、その時の電話が自殺した友達からの電話だったのかどうかは
今となっては分からずじまいなんですが、俺その時無言電話だと思って

「何時だと思ってんだ!いい加減にしろ!バカ野郎!」

って言って切っちゃったんです。
あいつが死んだのを知ったのは3ヵ月後のことでした。
泣きました。
自殺したっていうことのショックもありましたが、もしあの時の電話が
あいつからのものだったとしたら(その可能性はかなり高い)、
俺取り返しのつかないことしたんじゃないかって。

もうあれから3年たちます。毎年墓参りには行きますが、親御さんには
そのことは話してませんが、顔あわすのが本当につらいです。
お墓の前で手を合わせるとき、いまでもあいつに対して俺は申し訳なさと
悔しさと自己嫌悪で涙をこらえきれません。
あの時の電話があいつからのものだったとしたら、
俺が死んだらその時はまず一番にあいつに謝ろうと思ってます。

今まで誰にも話したことがありません。ここだから言えた・・・

52 名前:_ 投稿日:02/07/10 22:15 ID:6XUNYR/Q
漫画が始まりなのかなんなのか知らないが、
相手を殺す、あるいは戦闘不能にすることを「壊す」というようになったが、
その言葉を使う人間は、「人が壊れるところ」を見たことがあるとでも言うのか。

叔父は、心臓を患ってから入退院をくり返していたが、
週に一度の透析をする以外は、静かに暮らす分には平穏な日々だった。
しかし、ある日の透析の最中、突然発作に襲われた叔父は、呼吸が止まった。

その間およそ10分、脳機能が破壊されるには充分すぎる時間。
急を聞いて、病院に駆けつけた俺たちが見たのは、
まるで子供がふざけているようにベッドの上でぼーんぼーんと跳ね上がる肉体。

両目をかっと見開き、看護婦たちが懸命に押さえても、狂ったように
ベッドの上で何度も跳ね上がる痙攣を繰り返すそれは、叔父だった。
正確には「かつて叔父だった、壊れてしまい、やがてこときれる肉体」だった。

プールにも連れてってもらった。
幼稚園の運動会には、親父の代わりに親子競技に出てくれた。
海外旅行のみやげに、偶然会ったポール・マッカートニーのサインをくれた。
「おじちゃんに任せろ!」が口癖だった。

目を開けていても、こんなに激しく体を跳ね上げさせていても、
意識はなく、ただ反復運動を繰り返すだけの叔父の姿に、
「もう楽にさせてやってくれ!!!!!」と親父が叫んだ。
機械をはずす、それだけで終わるのだ。

それからのことは推して知るべし。
葬式で俺は泣かなかった。
あの集中治療室で「壊れた叔父」を見たとき、
子供のように泣いたから。声をあげて俺は泣いたから。
通夜の日、人手が余って手持ち無沙汰だった俺は叔父の部屋だった奥座敷で、
叔父のテレビでアグネスデジタルが天皇賞を制するのを観てた。

56 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/07/13 21:28 ID:9tFgWSx3
3年前に父親が死にました。
自営業だった工場が倒産して借金だけが残って
それを返済するために他からの借金で埋めて……という悪循環。
私もサラ金から100万くらい借りていました。
自業自得とはいえ社長だった父が新聞の勧誘員になって、
随分辛い思いもしたと思います。
でも当時は愚痴ばかり言う父が嫌で
一人暮らしの私にちょくちょく小遣いをもらいにくる姿を見るのが辛くて
「貧乏ってこんなに人を落とすんだ」と思いました。
それよりなにより自分の方も金銭的に追いつめられて
ある日突然に、こっそりと親戚を頼って引っ越しました。

引っ越して2年後に、親戚経由で父が死んだと連絡が来ました。
棺の中の父は信じられないくらい老いて、小さくなっていました。
やっぱりいい思い出ばかり思い出して
自分のことばかり考えて父親を捨てた自分が最低に思えました。
こんな自分に泣く資格はないと思って我慢していたけど
葬式が終わって、父親の携帯が不意に鳴って
それが無差別に送られた「メル友になろう」なんてメールだったので
途端にわけもわからず泣けてきました。

これを持っていたのは、なにもかもなくしてしまった寂しい60歳の親父だよ。
そしてもうその人はこの世にいないんだよ。
そう言ってやりたくなった。

そしてその寂しい親父を捨てた自分にももっと腹が立って、涙が止まらなかった。

72 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/07/25 02:54 ID:mu+UftDd
厨房の頃まで暮らしていた家があった。私はひとりっこ。
じいちゃんもばあちゃんもいない核家族だった。

中2の時、両親が別れた。
私は父と一緒にその家を出た。

母はその家に残り、パートなどで食いつないでいたようだが、
2年後、再婚した。

父はなかなか再婚できないでいた。その内だんだんと生活が荒れ始め、
ギャンブルに手を出し借金をこしらえた。

乱暴な父では無かったが、荒れ放題の父の家を私は出て、母の元へと戻った。
両親が別れてから5年後、中学まで過ごした面影はもはやその家には無かった。
しかしその状況にも慣れ、私は段々と「古いけど新しい家」に馴染んでいった。

学校を卒業してしばらくしたころ、父が家に来る事があった。父は立ち直っていたが、まだ再婚できずにいた。
義父は気を遣って外出してくれていた。
離婚以来、父、母と共に暮らす事はあったけれど三人揃って会うのは10年ぶりだった。
父の仕事の都合で、4〜5時間ぐらいしか話す事はできなかったが、私の小さい頃の話や学生時代の話で盛り上がった。

あ〜なつかしいなと思いながらも楽しいひとときを過ごし、「そろそろ…」と父が腰をあげた。
なんとなしに玄関まで見送りに行った時、涙がこぼれそうになった。

10年前、父は確かに一家の主としてここにいた。
客を見送ることはあっても見送られる事などなかった。

私は必死で泣くのをこらえた。泣いたら父も泣くだろうと思ったから。
父は少しさみしそうな笑顔で足早に玄関を閉めた。外で鼻をすする音がしたような気がした。

私は、その後号泣した。失ってしまった家族を思って声を出してわんわん泣いた。

10年ぶりに泣いた。
両親の離婚以来、涙が出なかったのに。
悲しくても涙が出なかったのに。

それを最後に、「家族」3人で出会う事は永遠に無かった。
今年はじめ、私は結婚した。おなかに赤ちゃんもいる。
何があろうと離婚だけはするまいと思う。

74 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/07/29 00:32 ID:JOfhCTsZ
昔はお父さんがいた。
ある時からお父さんはうちに帰ってこなくなった。
たまに帰ってきてもすぐに出ていってしまう。
でもわたしと会うと笑いかけて大きな手で頭をなでてくれた。
そんなお父さんが大好きだった。
その日朝起きるとお母さんとなぜかお父さんがいた。
「今日はお前の誕生日だろう?遊園地に行こう。」お父さんが言った。
みんなで近くの遊園地に行っていっぱい遊んだ。
デパ−トに行って欲しかったリカちゃん人形とリカちゃんのお家も買ってもらった。
最上階の食堂でお子さまランチとチョコレ−トパフェも食べた。
本当に楽しかった。夢みたいだった。
楽しい気分のまま眠りについて翌日目が覚めるともう父はいなかった。
そして2度と家に戻ってくることはなかった。
一度だけお母さんに「お父さんどうしてお家に帰ってこないの?」って
聞いたことがある。
お母さんは後ろを向いてうつむいたまま何も答えなかった。
体が震えていたからたぶん泣いていたんだと思う。
お母さんは何も答えてくれなかったけど、お父さんはもう帰ってこないんだって
何となく分かったからそれから私はお父さんの事を聞かなくなった。
あれから20年。お母さんはもうこの世にはいません。
父も生きていれば今年で65。どこかの街角ですれ違うだけでいいから
もう1度会いたいです。

76 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/07/31 17:09 ID:wqtHexSC
 父が亡くなって二ヶ月がたちました。 私が入社した年の夏に仕事中倒れ、そのまま半身不随・言語障害にて12年間
頑張ってくれていたのですが、GW前に肺炎を発症。その後10日たってから、亡くなりました。
 胃潰瘍で胃からのみならず腸壁からも出血。輸血をするも下血は止まらず‥普通なら400mlで1〜2パック、しかし父は
10日間で合計16パック。約3〜4人分を一巡したことになります。
 どうせ助からないのなら少しでも楽なようにと、酸素吸入(肺炎なので、普通に息を吸っていても肺が酸素を吸収
しきれず窒息状態になるため)と栄養剤以外は全て外して父が一番楽に逝けるようにしました。そのまま、超低空飛行の
状態で約1週間、病院が手配してくれた個室で母と二人して交代で看病しながら過ごしました。
 最期は肺炎を再発。尿毒症と肺炎で苦しんでいましたが不思議と間際にはむくみも消え‥突然発熱して少し血圧も
上がり、呼吸がだいぶ楽になっていました。そして、さっきまであんなに苦しんでいたのが嘘のように、穏やかに、
静かに、眠るように逝きました。
 12年前倒れた時に植物人間になるかも知れないと宣告されたときからずっと、いつかこの日が来るんだと覚悟はして
ました‥していたつもりでした。でも、こんなに辛いなんて思わなかった。
 呼吸が時折止まるようになった頃、最初は身体に刺激を与えて持ち直させたのを「もういいよ。もうこれ以上無理を
させるのはやめようよ」と言った母の言葉が、忘れられません。

 今、これを見ているかたで、親と上手くいっていないかた。
 どうか、一度、膝を突き合わせて話をしてください。 親と話せなくなる時は必ず、それも唐突にやってきます。
 私は覚えている父の声は、もう、アゥアゥと言ううめき声に近い言葉だけです。
 会話することができるうちに、思いを伝え、そして受け止めてあげてください。
 長文失礼致しました。

79 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/08/03 14:46 ID:MThJwdNz
今日は、貴方の誕生日ですね。
貴方の好きな、あの店の焼き鳥を買いました。
枝豆ととうもろこしを、茹でました。

母が、貴方の好物だったきんぴらゴボウを届けてくれました。
ビールも冷蔵庫で冷えています。

今日で45歳ですね、元気でいてくれたなら、、、
こうして仏壇の前で貴方の誕生日を祝うことになるなんて
去年の今日は、想像もしていなかった、、、

97 名前:大人の名無しさん 投稿日:02/08/10 11:40 ID:9fMgj+ru
むかーし別スレで見た言葉。とても心に残ってるので紹介するね。

あ、ちなみに。お坊さんから聞いた話です。
仏壇とか、法要などでお供えしますよね?故人の好きなものを、小さく盛って。
あれってなぜ小さく盛るかわかりますか?
実は、天国にいる故人には、お供えしたものは100倍の量になって届くんだそうです。
お酒が好きなら、お酒が100倍。メロンが好きなら、メロンが100コ(笑
「だから」
とお坊さんは続けました。

「一本の花でもたむけなさい。そして、小さくでもいい、手を合わせて偲びなさい。
 向こうは、あたり一面の花畑と、あなたの愛に包まれたところになってるんだから・・・」




     

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