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◆◆◆号泣!本気で泣ける話◆◆◆ より

82 名前: ほんわか名無しさん 投稿日: 01/12/01 15:26

今だったら本当、捕まってるぐらいの暴力親父。
テレビの世界にだってこんなヤツいないよってぐらいにうっとうしい親父だった。
母は耐え切れずに俺と兄貴を置いていったらしく、物心ついたときにはいなかった。
くる日もくる日も殴るける。灰皿を投げつけられて病院行った事もあった。
中学何年生かは忘れたけど、大喧嘩して家を出てったの。女つれこんでるのは
知ってた事だったから親父は俺を探そうとしないだろうから嬉しいのか悲しいのか
複雑な思いでふらついてて結局友達の家に一日だけ泊まって帰るという約束で
入れてもらったんよ。でも、その夜、親父が知るはずもない俺の友達の家にとびこんできて
何もいわずに俺を引っ張ってつれて帰ったの。
そのときはやっぱ「またブン殴られるのかな」「また病院逝きかな」「今日で俺死ぬのかな」
とか思ってた。
ところが家に帰っても何も言わずにずっと黙ったままで。
んで気まずくて息もできないくらいで早く時間過ぎろって思ってて。
そしたらいきなり「俺が死んだら泣いてくれるか」なんて言ってて「はぁ?」
って風にしどろもどろしてたの。んで淡々と今までの事とか親父の子供のころとか
喋って、最後に「今までごめんよ」って言って。その間俺身動き一つできなかった。
何をいきなりこんな事言ってるんだって。親父が憎いとかそんなこと思う余裕なくて
考えてたの。もちろん兄貴も話を聞いてたらしくて後から話し合ったけど、結局わからなくて。
その三日後に親父が死んじゃったの。ほんとにコロっと。病院の先生からよれよれの
手紙を手渡されてね。兄貴と二人でよんだ。ひたすらに謝ってる手紙。
アルコール中毒で手も思うように動かせない汚い字で。
その手紙の最後に「玄関の梁の下に酒がある。あと十年後、おまえ達が大人になったら
俺の仏壇の前で飲んでくれ。」って書いてあった。
その時なぜか涙が出て、恨みこそすれあんなに殺したがっていた親父が
死んじまったって。
明日、ちょうど約束の十年目。兄貴は俺が十八のときに肺炎で死んだ。
一人身の俺は明日、三人で酒を酌み交わす。


381 名前:もぐもぐ名無しさん 投稿日:01/12/31 20:48
うちの父は田舎の人で亭主関白で、私たち子供が朝にトーストを食べて
いても、必ず朝はご飯と味噌汁がないと文句を言う人だった。
誕生日に花を買うくらい母とは仲がよかったけれど、一度だけ母が朝寝坊
したのを「朝ごはん作ってくれなかった」とよく冗談めかして言っていた。

そんな父だけど料理はよく作ってくれた。
笹切りにしたジャガイモを炒めて塩コショウで味付けしたのとか、
とり肉を同じように調理したのとか。単純だけど、おいしかった。

それから、夜飲んでいる父のつまみは毎晩毎晩決まって湯豆腐。
豆腐とキノコとちくわとねぎが具で、刻んだねぎやミョウガを薬味に
しょうゆをつけて食べていた。一年中、毎晩毎晩。
私もたまに付き合って食べたけれど、正直、よく飽きないものだと
思っていた。

また、父は昔魚屋にいたとかで、魚をさばくのはいつも父の役目だった。
去年の年末、母に「多分家族そろうのは今回が最後だから」と言われ、
父のリクエスト通り、築地で刺身と(名前は忘れたけれど)2sくらいの魚を
買って、実家へ帰郷した。
父は嬉しそうに魚をさばき、「命がなくっちゃ、こんなおいしいものは
食べられないよな」と夕飯の席で何度も言っていた。
年末か正月かにやっていた、癌で死んだ有名人の特集を自分で選んで
観ながら、「これは俺と同じ治療法だ」とか「この薬は……」なんて私たちに
自慢めいて話していたのもこの時だった。

最後に記憶に残っている父の食事風景は病院のベッド。
ナースステーションの前の個室で、母も私も弟も床に布団をひいて
泊まりこんでいた。
食欲もなくなって二日ほど点滴だけで過ごしていた時、突然、
「かりんとうが食べたい」と言った。すぐに売店で買って食べさせると
「おいしい」と子供のように笑ってくり返した。
バナナも食べたいと言ってニコニコしながら食べた。
そしてまた容態が悪くなって、しばらく点滴だけになって、今度は「アイスが
食べたい」と言い出した。
前の年に祖母が死んだ時も直前に「アイスが食べたい」と言っていたので、
私は多分もうダメなんだとこの時に思った。
父の最期の食事は「たまごかけごはん」
白いご飯に生卵をかけて、しょうゆをたらしただけのもの。
私が作って食べさせると「味が薄い」と文句を言った。
「お父さんはしょっぱいのが好きだから」と母がしょうゆをたっぷりにして
食べさせると「おいしい。おいしい」といって平らげた。

母の言った通り、今年の正月に父はいない。
けれど私の父は世界で一番素晴らしい人だった。
病気のことも全て知っていて、治療法も自分で決めた。
最期には自分や母の兄弟に後を頼むと挨拶をして。
主治医にも看護婦さんにもお世話になったと手を合わせた。
私と弟にはお母さんと頼むと言った。
財産はなかった代わり、遺言に「家族仲良く」と何度もくり返した。
父は53才でなくなったけれど、どうしていい人ほど、要領の悪い人ほど
早く亡くなるのかと思う。今でも、そんな不条理が悔しい。

趣旨がズレて、父の作ったもの食べ物の話とは違ってしまってごめんなさい。
それと最後に。両親が健在の人は、今のうちに親孝行してあげて下さいね。





     

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