PickUp #209  2003.04.15   <- Prev  Home   Next ->


No.209 軍事板 泣ける話 より

234 名前: 名無し 投稿日: 2001/04/13(金) 21:52

林市造(カミカゼ特攻隊員・1945.3.31・最後の手紙)
「お母さん、とうとう悲しい便りをださねばならないときがきました。[略]
 晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けて来ます。
 母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることが出来ずに、
 安心させることもできずに死んでゆくのがつらいです。[略]
 母チャン、母チャンが私にこうせよと言われたことに反対して、とうとうここまで来てしまいました。
 私として希望通りで嬉しいと思いたいのですが、
 母チャンのいわれるようにした方がよかったかなあと思います。
 でも私は技倆抜群として選ばれたのですから喜んでください。
 私ぐらいの飛行時間で第一線に出るなんかはほんとうは出来ないのです。[略]
 ともすれば[略]お母さんの傍にかえりたいという考えにさそわれるのですけれど、
 これはいけない事なのです。
 洗礼を受けた時[略]アメリカの弾にあたって死ぬより前に
 汝を救うものの御手によりて殺すのだと言われましたが、これを私は思い出しております。
 すべてが神様の御手にあるのです。
 神様の下にある私たちにはこの世の生死は問題になりませんね。
 [略]私はこの頃毎日聖書をよんでいます[略]
 お母さんの近くにいる気持ちがするからです。
 私は聖書と賛美歌と飛行機につんでつっこみます[略]
 お母さんに祈ってつっこみます。 [略]出撃前日」

438 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/05/15(火) 02:15

全然有名な話ではないけど聞いてくれ。

オレのおじいちゃんは戦争末期、南方にいた。
国名は忘れたけど、とにかくジャングルのようなところで
衛生状態が最悪だったらしい。
当然マラリアだのコレラだのが蔓延する。
おじいちゃんの部隊も例外ではなく、バタバタと人が倒れて
いったそうだ。
ただ、その頃には治療薬も開発されていて、それを飲んで命
を永らえた人も多かったらしい。治療班に手渡されていた薬
で何人かの人が助かったそうな。
しばらくして、おじいちゃんが期せずして高熱にうなされる
ようになった。病気に感染したのだ。
一方でおじいちゃんの部下の1人にも同じような症状が襲った。
二人とも薬を飲めば助かる程度のものであったらしいが、
なんとその部隊には残余薬が一つしかなかった。
部下は「あなたが飲んでください、あなたがこの部隊の指揮官ですから」
と搾り出すような声で言ったらしい。立派な部下を持ったおじいちゃんは
幸せな人間だったとおこがましいけどオレは思う。
しかしおじいちゃんはたった一言こう言ったらしい。
「貴様飲め!」
おじいちゃんはその後間もなくして死んでしまった。

この話はつい最近死んだおばあちゃんから何度も聞いた。
薬を飲んで生き残って帰国した兵隊さんはその後おばあちゃんを
なにかにつけ助けてくれたらしい。オレも一度だけお会いしたこと
がある。まっすぐで立派な男だった。おじいちゃんも素晴らしい命
を救ったものだ。

おばあちゃんの口癖は
「貴様…って、いい言葉ね…」
だった。おじいちゃんの死後、もう何十年も経つのに
毎日毎日仏壇のおじいちゃんに話し掛けていた。
そして眠ったまま死んでいった。
明治の人間はすごい。オレはいつもそう思う。

781 名前: ヤマト 投稿日: 2001/06/19(火) 01:06

長文になります。
「ホタル帰る」2001年5月28日第1刷発行
発行所 草思社 著者 赤羽礼子(旧姓 鳥浜) 石井宏 ヨリ
以下
第四五振武隊隊長、藤井一中尉は特攻出撃も終わりに近い五月二十八日、部下を率いて出撃、
還らぬ人となった。富屋を訪れたであろう藤井中尉について、トメは年長の物静かな人がいた
という以外にとくに印象がなかった。
戦後、藤井中尉にまつわる話を聞いたトメは涙が止まらなかった。
戦争が始まった頃、藤井中尉は少年飛行兵の教官に就任した。彼は自分にも厳しい人で、
戦争が激化し、かつての部下だった少年兵たちの戦死の報を聞くにつれ、
「おまえたちだけを死なせるわけにはいかん」が口癖になり、みずから特攻兵を志願した。
藤井中尉は年齢的にも若くなく、結婚してすでに二児があった。こうした年長で係累の多い
将校などの場合、特攻としては採用されないのが原則である。当然のように
藤井中尉の志願は却下された。しかし、「教え子が死んでくのに自分だけがおめおめと
生きているわけにはいかない」という彼の信念は変わらなかった。
妻は最初は反対したが、次第に夫の固い覚悟に押し切られるかたちになった。
夫は再度却下されると、今度は血書して願書を提出した。夫の決意の固さを知った妻は、
後顧の憂いを絶つために
昭和十九年十二月十五日、近くを流れる荒川に、二人の子を道連れに投身自殺した。
自分たちが生きていては心残りとなるでしょうから、お先に行って待っています、
という遺書が残されていた。
血書の願書に妻子の自殺―藤井中尉の特攻志願は受理された。十二月二十日のことであった。

合掌

6 名前: £@歴史抹消主義 投稿日: 01/10/29 20:33 ID:SQO13+Nv

 多分、雑談スレで拾ってきた話!

 2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
 その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
   夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
   あんたらにわかるか?
   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

188 名前: タタタタ・アテヨイカヌ 投稿日: 01/11/09 19:21 ID:DEm26vvh

二十歳でヨーロッパに旅をした時の実話をいっちょう。
ルフトハンザの国内線に乗りフランクフルト上空にいたとき、
隣に座っていたアメリカ人のじい様に話しかけられた。
仕事か旅行か、日本はいい国だ、とか世間話をしたとき、
「私は昔、ここの空を飛んだことがある」とじい様がポツリと言うので、
俺が、あなたは飛行機を操縦できるのかと聞いた。実はじい様は、
戦争のとき爆撃機のクルーで、フランクフルトを爆撃しに来たことがあるそうな。
それを話したことでじい様は何を思い出したかしょんぼりして、
「平和は一番大事なことだ。日本人の君は、それがわかるだろう」と言った。
俺はただうなずいたが、若いのもあって、
消沈したじい様が隣に座ってるのがやだなあなんて思ってしまった。
そこでじい様、雲海を見ながら一言。
「きっと天国ではアメリカもイギリスも日本もドイツも、みんな仲良く飛んでいるよ」

今思い出すとほろっと来るエピソード。
じい様にはあの雲海の中に、たくさんの国の飛行機が仲良く飛んでいるのを想像したのでしょう。
俺はそれ以来「メンフィス・ベル」を観るといつも少し、泣きます。

84 名前: 名無し三等兵 投稿日: 01/10/31 22:58 ID:lRuCp/+G

軍事板ピカ1評価の高い渡辺洋二さんの「飛燕」より
昭和20年初夏の飛燕の特攻隊員(学徒動員)の方の会話

Aさん「この戦争は負けるのか?」
Bさん「・・・・」
Aさん「命が惜しくて言うんじゃないが戦争に負ければ、日本が負けるって判って
るなら俺達が死んでも意味ないじゃないか・・・」
Bさん「私たちが死んでも、日本人の何人かは生き残るでしょう。その人たちを信じて
死ぬしかありません」
Aさん「そうか!そうだな。その人たちを信じて死のう・・」




     

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