No.407 ☆★思い出の列車★☆ より
- 289 :名無しでGO! :03/12/20 02:28 ID:b3QaWzz/
- 近鉄名古屋線の特急。
去年の3月、大学入試が終わった。
自分は横浜の大学に進学が決まっていたが、
当時1年近く付き合ってたコは地元で浪人することになった。
「遠距離でも付き合う」
ってな話は何回もしてたから、
少し会えなくなるだけだって思ってた。
俺が地元を離れる日、
親の転勤も決まってて本当に地元にいる最後の日、
彼女から電話がかかってきて会いに行った。
駅のホームで落ち合って2時間以上話した。
好きになった時のこと、けんかしたときのこと・・
いっぱい話した。
けどいい加減ネタもつきて俺は行くことにした。
その時彼女は持ってきていた紙袋を俺にくれた。
中には手作りのお菓子と手紙、プリクラが入ってた。
俺が手紙を見ようとするとすごく嫌がって
電車に乗ってからにして、とせがんだ。
その言葉通り俺は電車に乗ってから手紙を開けた。
…中には彼女の思いが詰まってた。
不安、迷い、何回も書き直した跡、そして別れ
それでも無理に明るくしてる文面
俺は隣に乗客がいるにも関わらず泣いた。
というか涙が止まらなかった。
もらったクッキー食いながら泣いてた。
後悔ばっかりだった。
入試のシーズンになって思い出す。
一緒に勉強した去年のこと、
そして手紙を読んで泣いた近鉄の特急のこと。
絶対に忘れないと思う。
- 36 :名無しでGO! :04/08/17 13:41 ID:tK6MPlpI
- 俺は、「つばめ」というか787系です。
消防の頃、初めて九州に旅行に行きはしゃいでいると財布をどこかで落としてしまい(切符は別にしてた)デッキでワンワン泣いてたら車掌さんが「どぎゃんしたとか?」と。
事情を話すと不憫に思ってくれたのか、ビュッフェに連れてってもらい地鶏照り焼きチャォを買ってくれ座席も埋まってたので車掌室で食わせてくれた、そのとき見た東シナ海の夕日の光景とごはんの味は今でも覚えてる。
無一文だった漏れをその後、車掌区に連れて行ってくれ退勤後は自宅に泊めてもらい、色々な話を聞かせてもらった。
当時、鉄道員になりたかった漏れは興味深い話に釘付けになった。
翌日、お駄賃までもらい「がんばってJRば入れ」と帽子をくれた。
その後、何度も世話になりついにその車掌さんも定年、最後の乗務は787系。
ご家族は仕事なので来ていなかったがすっかり通いつめて顔見知りになった車掌区の人達花束を持ってホームへ行き到着を待つ。
到着の放送、運転士も気を使ってるのかゆっくりゆっくり入線してくる。最後尾には今まで白手袋なんかしてなかったのに綺麗に洗濯した手袋をはめキッと到着監視してるおじさん。
いよいよ最後の瞬間、列車は止まりドアを開け、名残惜しいように乗務員室を見回し降り立つ。
交代の車掌と少し涙声で引継ぎ。おじさんが国鉄入社から40年近く使い続けたカギも手渡し「よろしく」と一言。
その交代の車掌がレチになって初乗務の漏れです........わざわざ区が仕組んでくれたとはいえ.......あの時のお礼がわずかながらでも出来た気がしますた。
見ず知らずのガキを親身に世話してくれたおじさん、漏れの心の中の乗務時の接客の心になってます。
- 26 :名無しでGO! :04/08/06 21:55 ID:qpNg/uNx
- 俺は、海峡の50系ドラえもん列車かな。
小学校の時に難病にかかって、手術するために入院しなくちゃならなかった。
入院の前日、おいしいもん食べて映画でも見に行こうっていう話になって、俺は、当時大好きだった、ドラえもんを見に連れて行ってもらった。
父と母に連れていってもらったんだけど、父は、外で待っておくって言ってたが、なぜか途中からわざわざ入ってきて一緒に見た。
去年(だったかな?)、海峡号が無くなるっていうんで、飛行機で北海道に行って、海峡号に久しぶりに乗った。
函館駅について、機関車から客車に至るまで、ドラえもんとそのまわりの友達がこれでもかってぐらい書かれていた。
ちょっと長めの汽笛を合図に青函トンネルにはいるとドラえもんの声で解説が始まった。。。
終点の青森について誰もいなくなったホームで明かりに照らされたドラえもんや、周りの仲間の楽しそうな絵を見ていると、ひどく胸が締めつけられた。
手術は、無事成功して、その後は、再発もしなかった。
今は、JRで運転士をしてます。
特急に乗ってて、窓を開けていると、運転席に近い扉で「さようなら、お元気で。」とか言っているのを聞くと
なんだか、昼間っから、こっちも辛くなってしまって、つい流しノッチでゆっくりとホームを出て、
次の信号機がかすんでしまうことがあります。
- 56 :名無しでGO! :04/08/22 22:50 ID:K0xx+/md
- 大学生になって始めての帰省。
人間関係や大学生活で悩んでいた毎日を考え直すいい機会かもしれない、
と青春18きっぷで帰ることにした。
4日目、ねぶた真っ盛りの青森駅から乗った蟹田行き。
隣に座っていた女性は大きなバックパックを抱えて、暮れゆく夕陽を眺めていた。
蟹田で下車。駅前の観光案内を見ていると後ろから声が。さっきの彼女だ。
海が近いので海岸まで一緒に行った。
彼女は大学生。俺と同じく東京の大学から北海道の実家まで帰省するところだという。
俺が大学生活で悩んでいること、将来に不安を持っていることなどを打ち明け、
彼女はイヤな顔1つせず相談に乗ってくれた。
充実した生活を送っているような笑顔が印象的だった。
木古内では星空と海に浮かぶ漁火を眺めながら、夢について語り合った。
- 57 :名無しでGO! :04/08/22 22:52 ID:K0xx+/md
- 数日後、東京に戻るという彼女を俺の地元を通るルートにしてもらい、再び会った。
田舎の小さな街ではあるが、ゴハンを食べたり、旅の思い出なんかを語ったりして
楽しい1日を過ごすことができた。
だが結局彼女に告白することはできなかった・・・。
蟹田で一緒に食べた甘酸っぱかったリンゴ。
その味がこのときの想いを表しているのかもしれない。
- 234 :名無しでGO! :2005/06/26(日) 07:48:55 ID:fJryDXad0
- 忘れられない列車旅といえば、はくたかから見た親不知、
末期ガンで昏睡状態の祖母を見舞いに行ったときに
はくたかの車窓からみた親不知は波1つないべた凪でした。
しかも冬の日本海で…。
祖母は会社社長をやっており、仕事の関係で東京に行くことがありましたが
その道中、私も祖母に連れられ何度も東京につれていかれました。
足があまりよくなかった祖母は移動に足を使う飛行機、車を使わず
歩いたり足を使わない少ない鉄道を使っていました。
私が鉄道に関心を持ち、今、鉄道員になっているのはそんな祖母のおかげです。
親不知の変遷はこの目で見てきましたが、いつ見ても冬場は荒々しい日本海でした。
ですが、この日見た親不知は冬の日本海とは思えない穏やかさでした。
祖母はその二ヵ月後看病の甲斐なく亡くなりましたが、
あの親不知の景色は、きっと祖母が遠方から来る私の為に見せてくれたのでしょう、
私はそう信じたいです。
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